常識という罠 - 人は知識を蓄積するほどバカになる
おそらく何でもあてはまるのだと思っていますが、例えばフレームワークであれば、それを知らない人を主体で、+知識を有する人をサブとして、作り上げていくべきです。Java であれば、それさえも知らないのが理想的。
知らない人にそれは常識的におかしいとか言ってはだめで、ほとんどの場合、間違っているのは知識(思い込み)と過去のアーキテクチャです。フレームワーク系の ML に聞きにくるのは結構スキルがある人。文句つけてくるのも、それ相応の知識がある人しかいません。経験のある人間が集まって決めた仕様が、経験のない人に使いやすいわけがありません。誤解を恐れずに言えば、民主主義と統率統制された(ように見える)社会主義と言えるかもしれません。崩壊しやすいのは、道を誤るのはどちらでしょうか?
冒頭で言いましたが、これは技術的なことに限りません。昔、とある営業交渉中に先方(私より明らかに営業経験は上)が「それは商習慣だから、常識的に考えてそちらが間違いです」と言い放ちました。これは私がそう言わせるほど追い込んでしまったからなのですが、私の返答はにこやかに「論理的に考えて間違っているのはその商習慣ですよね。○○さん。本当に正しいと思っていますか?」。先方は「・・・いえ、本当は間違ってると思います」と。
人は知識が蓄積するほどバカになります。更に経験や知識があれば、知識のない人は反論しなくなり、それはますます加速します。アーキテクトが開発者の立場になったつもりで考えることはできても、知識を消し去ることはできません。
ところで、標準技術というものはありとあらゆることが考えらていて、通常はあらゆる問題領域に対処できるように設計された、すばらしいものです。でもどんな人達が主体で作ってるんでしたっけ?